裏紙、使ってますか?

たとえば、ミスプリントをしてしまって、印刷物として使えはしないが裏面はまっ白、という紙を、半ば自動的にケースにしまう。

たとえば、公共料金の領収書が入っていた封筒を、ハサミでざくざくと切っては 、トランプほどの大きさの紙にして引き出しに入れる。

こうした習慣が私にはある。

 

 

何に使うかというと、もちろん、裏紙として使うのだ。

 

 

思えば裏紙との出会いは(そんなおおげさな...)、

もう亡くなってしまった祖父の家でだったと思う。

祖父の家では、物を書くスペースがあるチラシを切っては、

大きめのクリップで束ねて、メモ用紙として居間に置いていた。

学校にもまだ行っていない幼き日の私には、

そうした大人の知恵が新鮮だった。

真似をして、空白の大きいチラシを探しては、ハサミで切って、その切れ端の束に紙を追加していた。

あるいは、字ならざる字、絵ならざる絵をかいて遊んでいた。

裏紙は遠慮せずに使えるから、のびのびとかいて遊べた。

 

 

月日は経ち、中学生になって、個人経営の塾に通うことになった。

そこでは裏紙が、計算用紙としてダンボールにまとめて入れられていた。

数学の苦手だった私はなおのこと、問題を解くときにとにかく数式を書かなくてはならなかったので、裏紙を使いに使った。英単語を書き殴りたいときにも使った。他の科目の勉強にも当然つかった。キャンパスのノートに裏紙を挟んだりして持ち帰った。どっちがノートなのか。

 

 

このように裏紙は、

自分が考えていることを整理するために書き出してみたり、

唐突に降ってきたアイデアを書きなぐったり、

紙が足りなければ、縦に足したり、横に足したり、

とても自由に使える。

しかもエコである。

 

ところがノートとなると、少し敷居が高くなる。

書き殴るにはもったいないし、

あとで見返すほど情報が整理されていないものを書くには抵抗がある。

筆記具を持つ手の、小指の側面に、ノートの残りのページと机が作る段差、

ページの縫い合わせ部分の段差があたって、書きづらいこともある。

 

ルーズリーフを使えばよいかというと、そうでもなく、

段差の問題は解決するが、貧乏性ゆえ、どうしても書き出すのにためらってしまう。

 

結局、自由に考えを整理したいときに使うのは、

気兼ねなく使えて、ストレスも少ない裏紙なのである。

 

 

最後に、裏紙を使う利点をもう一つ。

 

なんとなくではあるが、

裏紙に書かれた、書きなぐった文字や、勢いよく単語を囲んだ円や、

いたるところに伸ばした矢印などを合わせた全体に、

ある種の美しさを感じるのである。

 

字はもちろん綺麗どころか汚いことのほうが多いけれども、

そこには、やむにやまれず没頭して書かれた筆跡が、

無作為の作為というべきものを残し、

考えが形になるまでの唯一の過程としてのアウラ的な美しさを滞留させている。

 

...のかもしれない。

 

みなさまくれぐれも年賀状を裏紙に書いて出されませぬよう、お気をつけください。

よいお年を。